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​しんあいち歴史研究会

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道連れは友と歴史と好奇心!

私たちは、歴史に興味のある者が集う気楽なグループです。

春秋は、歴史の舞台となった現地にバスで行き、実際の歴史に思いを馳せます。

また、夏と冬は、名古屋で学習会を開いて、会員相互の研鑽を深める・・・。こんな活動を行っています。

まずは、ビジターとして当会の活動にご参加いただき、よろしければ、入会をお願いします。

 現在、会員入会キャンペーンを実施しております。研修会のビジター参加費を会員と同じ9,500円(従来10,500円)としますので、ここの機会に研修会にご参加ください。

 

☆令和7年1月学習会 

      藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)の研究

 「過去においても仲麻呂の功績に匹敵する者はなく、ひろく恵を施す美徳もこれに過ぎるものはない。今より後、藤原の姓に恵美の二字を加えよ。また暴虐の徒を鎮圧し、強敵に勝ち、兵乱

を押し静めた故に、名づけて押勝とする」

…天平宝字2年8月25日(758年)淳仁天皇の勅より(現代語訳)…

 

 藤原仲麻呂(706~764)は奈良時代中期に活躍した貴族政治家である。藤原氏は彼の父の代に、南家(武智麻呂)・北家(房前)・式家(宇合)・京家(麻呂)の四家に分かれた。仲麻呂は、そのうちで嫡系である南家の始祖、藤原武智麻呂の次男として生まれた。律令編纂に功績があった藤原不比等は祖父、大化改新で活躍した鎌足は曾祖父にあたる。

 760(天平宝字4)年、彼は55歳のときに太政官における最高位の大師(太政大臣)、2年後の762年には正一位となり、臣下としては異例の極位極官に到達する。ところが、さらに2年後の764年には、一転して逆賊とされ、琵琶湖畔で斬首されて最期を迎える。

 同時代の仲麻呂人物評には、「天性は聡く、多くの書物に精通していた」と学識文才が称賛され、非凡な学者的秀才として高い評価がある。

だが一方で、「よこしまで、道にそむく人物」という極端な評価もある。近世以降も、一般的には逆臣・謀反人の評価が定着している。このように毀誉褒貶が定まらない人物である。

              (記)

  開催日    令和7年(2025年)1月26日(日)

 場 所    名古屋市中区金山1丁目5番1号

         日本特殊陶業市民会館 2F 第1会議室

 時 間    午前9時05分 開場

        午前9時15分 開演  午前11時55分 終了

 会 費     会員500円  ビジター500円

 申込方法    ①事前に事務局に手渡し ②事前に ハガキ、メール、TELLで申し込み

 申込み先    446-0044 安城市百石町2-19-7

               山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局

                             メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com

 締 切    資料印刷の関係上開催日10日前とさせて頂きます

​ 

☆令和7年2月学習会 ​

    「  平家物語の世界」

 平家物語は、治承・寿永の乱の時に起きた源平の争いを描いた物語である。

物語は平清盛、木曽義仲、源義経の3人を中心に進んでいくが、彼らが主人公ではない。主題はあくまで平氏の滅亡であり、それを通じて、今を末法の世とみる世界観と、諸行無常・盛者必衰の思想を語っているのである。

 作者の世界観や思想の根底には、この世は人間の力によっては如何ともしがたい運命によって支配されており、我われの未来は運命によって予定されているという考え方がある。そこには必然的に無常観がともなうが、ひたすら念仏を称えれば往生できるところに救いがある。

諸行無常・盛者必衰の理のなかで、自らの弱さ・悩み・葛藤をかかえながら生き、死の恐怖、殺生への罪悪感、生への執着のうちに死んでいった人間群像について多くを語っており、深い感動を覚えざるをえない。

 戦争という極限の状況にあって、武士たちはどのように戦い死んでいったのか、その精神はどのようなものであったのだろうか。平家物語はフィクションであって史実ではないが、作者の死生観や歴史観を読み取ることができる。

【主な内容】

□ 武士の精神

平家物語の時代、武士は自らの名のために戦ったが、何よりも一族の繁栄が何より大事であった。そのために、先陣をきって敵陣に討ち入り、名のある武将の首級をあげるべく戦った。首級によって論功行賞が決ったのである。

武士にとって名誉ある死とは、戦場で敵と戦って討死することであった。それがかなわなければ自害しなければならない。名もない敵兵に打ち取られたり、生け捕りにされたりすることはもっとも恥ずべきことであった。

□ 平家物語の運命論

『平家物語』の作者は、自らの運命観を平重盛や平知盛に語らせ、あるいはその観念を体現させている。重盛は平家が滅亡していく運命にあることを、平家の栄華の時期にはやくも予言した。知盛は平家の運命を知りながら自らの「命」に生き、壇ノ浦に沈んだ。

□ 平家の最期 ― 生死の迷いと浄土信仰 ―             

『平家物語』は「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる。仏教の影響を大きくうけていることは言うまでもない。平家の人々は多くが念仏を称えながら最期を迎えた。平安末期に浄土信仰が広まっていたことを示すものである。源信『往生要集』が大きく影響しているのだが、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は誰もが往生できるという専修念仏の教えを説いた法然の影響もみられる。

          記

1.開催日   令和7年2月23日(日)

2.場所    名古屋市中区金山1丁目5番1号

          日本特殊窯業市民会館 3F 第一会議室

3.時間        午前9時05分開場、午前9時15分開演、午前11時55分終了

4.費用    500円(ビジタ-、500円)

5.申し込み方法:下記申込書で事務局に事前に手渡し、又はハガキ、メール 

 で申込み

6.送付先 446-0044 安城市百石町2-19-7

        山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局

        メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com

尚、締め切り日は 資料印刷の関係上、開催日の1週間前とさせて頂きます。

 

★令和7年3月研修会★​

「京都・滋賀に紫式部が生きた時代の残り香を求めて」

 今回の研修は、桜の開花も近い時期に、京都・滋賀に、紫式部の生きた時代の痕跡を求めて、ゆかりの場所を訪ねます。午前中は、大津・石山に「石山寺」を訪れます。広い境内を1時間程かけて巡りたいと思います。石山寺の名前の由来になった大きな岩の塊、紫式部が源氏物語を認めた伝承がある場所で、部屋の窓から式部が覗いています。探してください。昼食は、石山寺の門前のお店で頂く予定です。

 昼食後は、京都に向かいますが、最初の訪問地は、御所の東側にある「蘆山寺」を尋ねます。ここは、紫式部の住居跡と云われており、源氏物語の構想を練り、また執筆もされた可能性もあるのではないでしょうか。御所も近く周辺は、三条実美の住居跡などがあり、高貴な身分の方々の住居があった所のようです。

 続きまして「平安創生館」という所を訪問します。ここは、平安京を上から鳥瞰できるジオラマ模型が置いてあり、紫式部の時代の平安京が鳥瞰できます。道長の住居である土御門殿の東に当たるところに建てられた法成寺、岡崎の法勝寺の八角九重の塔等も再現されているので、当時の平安京の全体像を把握するのに最適の施設です。最後は、洛北・紫野にある「紫式部の墓所」をお参りします。お隣に地獄の閻魔大王に仕えたと云われる小野篁卿のお墓と並んでいます・・・何故??京都には不思議なことがあります。興味ある人は、調べて見てくださいね。

             

 

日時    :  2025年<令和7年>  3月23日(日)                      

場所    :イオン金山店前    午前7 50分集合・出発

会費    :  会員&  ビジター共に  9,500円

申し込み方法:①下記申込書で事務局に事前手渡し

       ②はがき・メールで申し込み

       ※送付先 〒446-0044   安城市百石町2-19-17

            山本京子  気付 しんあいち歴史研究会事務局 

            メールアドレス: kyoko.y.summer@gmail.com (学習月日を忘れずに)

締切:令和7年3月13日  資料印刷の関係上10日前とさせていただきます  

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