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​しんあいち歴史研究会

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道連れは友と歴史と好奇心!

私たちは、歴史に興味のある者が集う気楽なグループです。

春秋は、歴史の舞台となった現地にバスで行き、実際の歴史に思いを馳せます。

また、夏と冬は、名古屋で学習会を開いて、会員相互の研鑽を深める・・・。こんな活動を行っています。

まずは、ビジターとして当会の活動にご参加いただき、よろしければ、入会をお願いします。

 現在、会員入会キャンペーンを実施しております。研修会のビジター参加費を会員と同じ9,500円(従来10,500円)としますので、この機会に研修会にご参加ください。

 

★令和7年6月研修会★​

 「織田信長が築城、徳川家康が小牧・長久手の戦いで改築した小牧山城を探検し、青塚古墳、東の宮古墳を訪ねる」

 今回の研修は、総会と兼ねて、小牧山城・青塚古墳・東の宮古墳・興禅寺を訪ねます。小牧山城は織田信長がつくったお城で、先の発掘で立派な石垣が残されていることが判明し、再現した城を探検します。小牧山城の天守閣(小牧市歴史館)に登り、三英傑が天下を取る気になった濃尾平野を一望、西に関ヶ原その先は京都があります。三英傑が関わった小牧山城、信長は「守りより自慢の見せる城」それは大手道に表現され、岐阜城に移る4年闕この小牧城の城主として治めた。小牧に城下町にした。その後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の連合軍が戦う「小牧•長久手の戦い」 が始まる。家康は戦いのため小牧城の堀や土塁を改築し、羽柴秀吉と戦い、三分の一の兵力で勝利した等を、研修会で話を進めます。犬山市羽黒レストラン「大安」で「なごやめし」をいただき、 「しんあいち歴史研究会の総会」を行います。その後、愛知最古の二大古墳「青塚古墳」 (西暦350年前後に)を訪ね、古墳管理しているNPO「にわ里ネット」より解説。「東の宮古墳」を含む。 また、1868年5月、入鹿池決壊の時、流された岩が祀ってある「興禅寺」。 興禅寺は梶原景時の館跡で、その横に羽黒城(秀吉陣址)あります。

歴史ある尾張の地をこの期に訪ねる研修会、是非ご参加を!

 

             

 

日時    :  2025年<令和7年>  6月22日(日)                      

場所    :イオン金山店前    午前7 50分集合・出発

会費    :  会員&  ビジター共に  9,500円

申し込み方法:①下記申込書で事務局に事前手渡し

       ②はがき・メールで申し込み

       ※送付先 〒446-0044  

            安城市百石町2-19-17

            山本京子  気付 

            しんあいち歴史研究会事務局 

      メールアドレス: kyoko.y.summer@gmail.com               

締切:令和7年6月12日資料印刷の関係上10日前とさせていただきます  

 

☆令和7年7月学習会 

「藤原実資とその周囲について」

~『寛弘の四納言』と中関白家 隆家との関係を中心に~

 

 昨年の大河ドラマ『光る君へ』では紫式部・藤原道長に次ぐ『第三の主役』として存在感を発揮した『賢人右府』こと藤原実資!

 実資といえば、六十三年に及ぶ長大なる古記録『小右記』の著者、または有職故実に通暁する『儀式・政務の権威』としての顔が人口に膾炙かいしゃしています。

 『一家三后』という未曽有の栄耀栄華を極めた道長に対しても、直言を辞さない清廉潔白ぶりを発揮、道長を始めとする同時代の貴族たちから尊敬と高い評価を受けていました。

 摂関政治の全盛期において、実資は替えの利かない唯一無比の存在として、いぶし銀的な役割を果たしていたのですが、その反面、自らの主義や価値観に拘るなど、対人関係においては好き嫌いの顕著さが窺われます。

 権力者道長とは是々非々の対応に徹していた実資でしたが、道長の与党勢力を形成していた『寛弘の四納言』(源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成)に対しては、含むところがあったみたいで

『小右記』には彼らのことを「恪勤かっこんの上達部かんだちめ」と皮肉を込めて記しています。

 その一方で、道長との権力抗争に敗れ、没落の憂き目に遭っていた中関白家の隆家に対しては、何かと孤立気味だった彼の世話を親身に焼いており、後年の『刀伊の入寇』を撃退!救国の英雄と称えられた隆家の活躍は、彼の資質を見抜いた実資の慧眼に起因するところが大きかったと思われます。

 今回の学習会では、実資の対人関係に焦点をあてることで、華やかな平安貴族社会の裏側に巣食っていた羨望・憤懣・妄執、そして嫉妬が織り成すエピソードをご紹介すると共に、現代に比べても大差のないストレス社会を生き抜いた実資の人間臭さに迫ってみたいと思います。

 

           記

 

開催日:令和7年7月26日(土)

場 所:名古屋市中区金山一丁目5番1号

    日本特殊陶業市民会館 第1会議室

時 間:午前9時05分開場

    午前9時15分開演 

    午前11時40分 終了

 

参加費:会員、ビジター500円

 

申込方法  ①事前に事務局に手渡し

      ②事前に ハガキ、メールで申し込み

送付先 〒446-0044

     安城市百石町2-19-7

  山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局

                

メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com

 

 申込締切    令和7年7月16日(水)

☆令和7年8月学習会

「続・戊辰戦争と美濃大垣藩の動向」

~黒船来航に駆けつけた大垣藩~明治維新後の城代 小原鉄心・最後の殿様戸田氏共

 

 

  幕末期の日本はアヘン戦争に代表される欧米列強によるアジア進出の脅威にさらされ、長年続いた「鎖国政策」が相次ぐ外国船の来日により揺らいでいました。そして、嘉永6年(1853)6月ペリー率いるアメリカ合衆国東インド艦隊による黒船の浦賀来航は翌年の日米和親条約締結に至りました。

  この事件から10年間、大政奉還から明治維新に至るまで日本は尊王攘夷が吹き荒れる激動の時代を迎えます。

 幕末期において譜代大名であった大垣藩も「勤王か佐幕か」で大きく揺れ動いていました。

 そして、ペリー来航時の浦賀奉行戸田氏栄(うじよし)が大垣藩戸田氏の分家であったことから城代小原鉄心を通じて大垣藩兵の派遣要請を行い大垣藩は浦賀へ出兵することとなりました。

 この事件は、その後の大垣藩の軍制改革等への画期となりました。この軍制改革により西洋化された精強な軍隊を持つ事となった大垣藩は鳥羽伏見の戦において旧幕府側にて戦う羽目となり一旦は朝敵となりましたが、城代小原鉄心の尽力により藩論を勤王に転換。大垣藩の東北征討軍への従軍に大きな役割を果たしました。

 8月の学習会では昨年の「戊辰戦争における大垣藩の動向」の発表内容を更に研究深化させ大垣藩のペリー来航に関わる対応を城代小原鉄心と浦賀奉行戸田氏栄との関係を中心にお話します

 

                                                              記

 

1.開催日 令和7年(2025年)8月24日(日)

2.場 所 名古屋市中区金山1丁目5番1号

                     日本特殊陶業市民会館3F 第1会議室

3.時 間   午前9時 5分開場

        午前9時15分開演  

        午前11時55分 終了

4.会 費   会員500円  ビジター500円

5.申込方法 ①事前に事務局に手渡し

       ②事前に ハガキ、メールで申し込み

送付先  〒446-0044 安城市百石町2-19-7

             山本京子 気付 

       しんあいち歴史研究会事務局

  メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com

6.締め切り 資料印刷の関係上開催日の一週間前とさせていただきます。

             

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